眩惑のセルバンテス(08.6.5)






砂海


 砂の海を見たことがあるか、と尋ねると、その少年は少しだけ首を傾げ、砂漠のことかと問うてきた。
 そうだな、と私は頷いた。
 「だが、我が部族は砂漠とは呼ばない。砂海と呼ぶ」
 「サカイ?」
 「砂の海、で砂海だ」
 彼はふうんと賢しげに頷き、「本とモニターでなら、見たことがあります」と大人のように答えた。
 少年は常に礼儀正しかった。周囲に同じ年頃の子どもなどおらぬ故か、父親の教育の賜物か。だが無論、私は礼儀正しい子どものほうが好きだ。五月蠅い子どもも肝の据わらぬ子どもも好きではない。
 「本だのモニターだの、そんなものでは砂海を感じることは出来まい」
 少年は「はい」と頷く。そうして「セルバンテスさんは」と言いかけた。視線を向けると少年が少しだけ首を竦める。
 「あの……」
 「構わない。聞いてごらん」
 「はい、セルバンテスさんは、砂海のあるところがふるさとなんですか?」
 見たことがあるのか、いったことがあるのか、等という迂遠で要領の悪い質問をしない。彼は賢い子どもだった。
 「そうだよ」と答えてやると、少年は嬉しそうに笑った。奇妙に人懐こいところのある少年は、「どんなところか聞きたいです」と目を輝かせる。
 私は砂の色合いが空を映して変化することを聞かせた。
 風で波のような音をたてながら砂が流れていくこと、踏めば美しい音がすること、静謐にして残酷、祈りと歌声を吸い込み静寂に返す場所であることを語った。そこは孤独であるように見えてそうではなく、ただ僅かな生命と、眠る魂がともにある場所であることを語った。
 砂海は祈りであり、世界である。父であり、母である。
 彼はそのすべてに興味深げに頷き、驚き、時折こちらがはっとするような言葉を投げかけてきた。

 私はあの時、確かに楽しんでいたように思う。
 そうして、彼の後見人となることを本気で考えたのだ。アルベルトの娘に後見人がついたように――そう、この少年の後見人には私が相応しいだろうと思った。私は十傑集中、最高位のロボット操縦術の能力者であるし、少年は我がBF団ロボット開発者の息子であり、なおかつ類い希な才の持ち主でもあるのだから。
 なに、父親も嫌はあるまいと思った。なにしろ「監視者」が「後見人」になるのだ。そうなれば彼ら親子の行動の自由もある程度は保証される。
 砂の海を見てみたいか、と尋ねると、彼は闊達に頷き、「はい、見てみたいです」と言った。
 ではいずれ見せてやろう、と知らず私は微笑んだ――ようだ。少年の肩から力が抜け、緊張が緩むのが伝わってきたのを感じた。
 彼のまっすぐな視線は終いまで揺らぐことはなかった。
 この潔癖さは、得難いものだ、と私は深く感じ入った。まるで砂海の夜明けのようだ。きっぱりと直向きで、美しくさえある。
 純度の高い直向きさは、戦士の資質だ。善悪の二元論に関係なく、闘いに向く。敵にあっては脅威に、味方にあっては英雄に。

 私は君の行く末が楽しみだったよ、大作くん。君を奪われたのは、本当に惜しい。
 次に会うときは、脅威となって私の前に立ちふさがるか――だがそれも面白い、と、思ってしまう程度には、どうやら私は君を気に入っていたらしいな。
 無論、手加減も容赦もしはしない。戦士には剣をもって礼をつくそう。
 私が先に逝くか、君が先に逝くか。

 すべては、神の御心のままに。