バッシュ@12(08.10.7)







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 市場の奥でぼんやりと街を眺めていると、まるで自分が商品になったかのような心持ちがして不思議な気分になった。
 そう――例えば、数歩向こうで声を張り上げている商人の品だ。
 彼の足下には大小の籠が有り、そのなかにはもれなくガーヴィ鳥がいる。積み上がった小さすぎる籠にいるのは餌の蜥蜴だろう。南方系の顔立ちの彼の腕には、ガーヴィ鳥が一羽留まっている。よく慣らされている風でもあるが、あれは風切り羽を切ってあるので飛べないのだ。革の紐で繋がれ、硝子玉のような目をじっとどこかへ向けている。
 あれらと自分がまるで大して変わらないものに思えて、私は苦く自嘲した。
 そんな想像を喚起させたのは、あの鳥篭なのかもしれない。ずっと籠のなかに居た私は、時折「歌って見せろ」と揶揄られた。野次もくだらない揶揄も、今更堪えることもなかったが。
 私の誇りなど、疾うに地に堕ちていた。二度まで主君も故郷も守れず、へし折られた騎士の背がこれ以上何を纏うというのか――と、そう思っていた。どのような憎悪も、どのような悪意も、私にとってはもはや日の光以上に遠かったのだ。

 まさかこんな風に、再び立つための機会に恵まれるとは思わなかった。無論、生きていつか一矢を報いてやろうと自分を鼓舞していたのは真実だが、あの状況でそれが叶う可能性は限りなく低かったのだ。

 頭から布を目深に被り、冷えた階段に腰を下ろして、ぼんやりと感慨に耽る。
 出られたからには成すべきことが山積している。頭の中は冴えたように熱っぽく回転していたが、さすがに少し疲れたようだ。
 私を連れだしてくれた者たちは、街の様子を探ってくると言い残して雑踏へ消えた。
 私はあまり彷徨くわけにはいかない。私の顔を見知っているものがどこにいるか判らないし、裏切り者の汚名は私の名と共にこのラバナスタの石畳に刻まれている。騒ぎを起こすのは得策ではないから、私は大人しく彼らの言に従ってここへ残った。
 一人になると溜息が零れる。
 脱出時もその後も私は進んで彼らの盾になろうとしたが、暫く魔物との戦闘が続くと、「盾ぐらいにはなるだろう」と言った当の本人(空賊らしい)が嫌そうに顔を歪めて私の腕を掴んだ。
 「本気でするか、普通」とぶつぶつ文句を言い、私の腕を掴んだまま、後方を守るヴィエラの娘へと投げるように突き飛ばした。レックスの弟は私の方を見ようとはしなかった。
 ヴィエラの娘は無言で私に回復魔法を施してから、「やり方を間違えてはいけない」と独り言のように私に告げた。
 結局のところ、彼らは私が剣を手に入れるまで私を前へ出そうとはしなかった。
 今の私の体には、目立った新しい傷はない。ヴィエラの魔法で全て癒えた。虜囚時の古傷だけはどうにもならないのでそのままだが――私の傷など放置してくれて構わなかったのにと思う。
 体の傷は致命傷でなければいずれ癒える。薬があればいま少し早かろうし、魔法が手近にあればそれこそあっという間だ。だが無論、精神に刻まれた傷を癒すような薬や魔法はなく、時間が経っても治り方は曖昧で終わりが見えない。
 私は無意識に自分の肩口に爪を立てた。
 それを痛いと感じることは正常だとぼんやりそう思い、レックスの弟のことを思い浮かべた。
 彼――ヴァンはどうしたろう。
 ぎりぎりと爪が食い込んでいく。そういえば魔法で爪は切れないのだった、とおかしなことを考えた。
 兄によく似た、けれどもっとずっと若く、幼ささえ残る少年の面立ちを思い描いたところで、いきなり目の前に黄色い物が差し出される。
 ぎょっとして顔を上げると、そこには同じように頭から布を被ったくだんの少年が仏頂面で立っていた。
 「……ん!」
 顎をしゃくり、目の前の黄色い物を差し出してくる。
 それが果物であることを理解して受け取り、「ありがとう」と礼を言った。彼は気遣ってくれているのだろうか――まさか。
 ヴァンは態と荒っぽい風にどかりと腰を下ろした。
 「食べなよ。腹、減ってないの? てか喉だって渇いてんだろ」
 腹は減ってないが、そういえば喉は渇いていたと気付く。
 「すまない」
 黄色い瑞々しい果物は、私の目に黄金にも等しく映った。ナリヤと呼ばれるそれは、風変わりな形をしているが皮ごと食べられて甘い。ラバナスタの街ではよく見かけられる特産だ。
 (占領下でもラバナスタは豊かだな)
 もともとダルマスカ地方は豊かなのだ。砂漠を背後に控えてはいるが、建国よりも遙か古から絶えたことのない地下水脈をふんだんに抱え、それらを利用しての交易や灌漑が盛んな土地だった。
 久しぶりに掌に果実の感触を味わっていると、ふと隣からの視線を感じた。
 顔を上げると少年の視線と出会う。何となく言葉を失ってしまった私は、さぞ困ったような顔をしていたのだろう。少年は、「もしかして食べ方忘れた?」と小さな声で尋ねてきた。
 「ああ、いや」と私は首を振った。ただ懐かしくて――と言おうとしたが、レックスは故郷に戻れたことさえ認識できないままに亡くなったのだと聞いたことを思いだし、口を閉ざす。懐かしむことさえ出来ずにいた、少年兵が居るのだ。
 ――胸を痛ませるのは偽善だろうか。
 「あのさ」
 ナリヤを囓りながら、傍らの少年はぼそりと言った。
 「あんたのせいじゃないってことぐらい、俺だってもう判ってるから」
 言い方は突っ慳貪だが、声音には独特の柔らかさがあって私は酷く驚いた。
 「俺は馬鹿だけどさ。そんくらい、もう判ってるよ。兄さんが死んだの、あんたのせいじゃない」
 「……信じてくれるのか」
 「いいから食べろって。殴ったの、悪かったよ」
 黄色の果実が白い綺麗な歯に噛み千切られるのを、呆然と私は見ていた。色々と言わねばならない言葉がある筈だが、そのどれもが私の喉からは出てこなかった。
 居たたまれないような気持ちで、果実を囓る。
 口のなかに溢れる汁は甘く感じられたが、芳醇であるはずの香りまで感覚が追いつかない。半分ほど黙って平らげたところで、やっと吐息をついた。そうすると目が眩むような果実の香りにくらりと酔いそうになる。
 「ヴァン」
 「なに。いっとくけど、もう謝んなくていいから」
 少年の言い様に、私は思わず笑んだ。
 「違う。……ありがとう」
 ちらりと少年は私を見て、肩を竦めた。「うん」と頷き、それから、
 「あーあ、フクザツだぁ」
 と、猫のような伸びをした。そのすらりとした成長期の腕の先には、すでに果実の姿はない。全部、彼の胃袋におさまってしまったのだろう。
 「色々、納得いかないけどさー」
 はあ、と伸びをやめ、肩を落としてヴァンは言う。
 「うんまあでも、取り敢えず良かったよな。戻って来られて」
 ここにさ、と彼が少しだけ大人びた顔で笑った。
 釣られて、私も笑む。
 その彼の顔を見て、ふいに強く思った。
 ――二度と、少年兵まで駆り出すような戦はするまいと。
 騎士が闘うは役割だ。
 剣に誓い、その時点で戦に出る覚悟を持つ。騎士なればこそ、軍人なればこそだ。
 だが一般兵は違う。
 彼らは本来、守られるべき無辜の民だ。商いをし、作物を育て、家畜を追い、子を育てるが役目の者達だ。国のためと思えばこそ覚悟をして戦場に身を挺してはくれるが、本当はそのような者達が必要になるような戦をしてはならないはずではないか。ましてや、年端のゆかぬ少年兵など――。
 (……レックス)
 少年兵は彼だけではなかった。死んでいったのは彼だけではなかった。
 だが私には、彼がそうした者達の代表であるかのように思えてならない。その弟のヴァンも。
 強くあらねばならない、とそう思う。私は強くあらねば。
 「私はきっと君を守るよ」
 微笑むと、ヴァンはぽかんとした顔でこちらを穴が開くほど見詰めてくる。
 それから、
 「あんたってさ。ちょっと変」
 と、ラバナスタの青い空のように笑った。



end.