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 辞令が下った。
 軍の命令に本意も不本意もないから、踵を鳴らし背筋を正して拝命する。
 このところ頻発する質の悪いテロリストの鎮圧のため、南部への遠征を命じられた。
 期間は3ヶ月。長いような短いようなものだが、組織だってさながら軍隊の様相を呈している武装組織の相手をするとしたらこんなものか。
 連れて行く多くの兵たち。補佐には情報部のアームストロング少佐が付けられ、直属の部下の中から先発隊でハボックとブレダが私とともに現地へ向かうことになった。軍用列車をしたてての久しぶりの大所帯だ。
 武装組織の中にはイシュヴァールの時の同輩、つまり国家錬金術師崩れが紛れ込んでいることが確認済みだった。当時の工作部隊のスペシャリストだった連中も。
 錬金術師も厄介だが、判明している元工作部隊兵のリストの内容にも頭が痛い。彼らは錬金術こそ使えないが、隠密行動と破壊工作のプロだ。
 手こずらされそうだった。
 こういう連中を相手にするときは大人数でいけば制圧できるというものでもないから、一応上にはそう進言してはみたが、軍と言うところはままならない。
 死人の数が無駄に増えないといいが、と胸の奥が苦かった。

 ともあれ準備を整え、慌ただしい出発となった。
 その折りに、丁度、セントラルにやって来たエルリック兄弟と駅のホームで出くわしたのだ。
 こんな偶然もあるのか、私たちも驚いたが、彼らも相当驚いたようだった。
 だから戻ってくるときには連絡をしろとあれほど言っただろうと言うと、兄弟そろって悪戯小僧のような笑い方をする。全く。
 大仰に溜息をついてみせる私の前で、アームストロング少佐が彼らと暑苦しい再会の挨拶をし(エルリック兄弟は激しく嫌そうだったが今回ばかりはざまをみろと思う)、ハボックやブレダ、見送りのファルマンといった既知の顔ぶれと親しみの籠もった挨拶を交わす。
 この禁忌を犯しながらも業を背負うことで前に進もうとする強靱な子どもたちは、損得無く彼らに好かれている。
 軍などというところはしょうもないところであることは間違いないし、冷たく厳しい場所であることも事実だが、中にいるのは所詮は人間だ。
 気のいい人間もいればそうでない人間もいて、そこは実際世間の在りようとそうは変わらない。
 この兄弟と接して悪意を抱く人間もいるだろうが、純粋に好意や好感を抱き「何かしてやりたい」と思い、屈託無く笑顔を向ける、そういう人間もまたちゃんと存在していて、それはどこか救われる事実だった。
 「報告書なら、軍司令部にホークアイ中尉が残っているから彼女に届けておきたまえ」
 そう告げる私に、事情をハボック辺りから聞いたのだろうか、弟のアルフォンスのほうが「みなさん大変ですね。どうかお気を付けて」と、優しい声で小首を傾げて見せた。
 鎧姿のこの少年は仕草が可愛らしく声が優しいので、厳めしい外観とは随分と印象がちぐはぐだ。
 けれどそれがこのエルリック家の次男の魅力でもある。そんなことを面と向かって言いやしないが、私はこの少年の柔らかくて丁寧な物腰と、しっかりした気質、純粋な優しさというものがとても気に入っていた。写真でしか知らないアルフォンスの姿をこの鎧姿と重ねてみるのは難しいが、それでも表情豊かな声を聞いていると違和感なく思い描くことが出来るのだった。
 「慌ただしくてすまないね」とアルフォンスに微苦笑してみせると、兄の方が「向こうでサボんじゃねーぞ」とニヤニヤ笑ってきた。こちらは可愛げがないことこの上ない。
 私は肩を竦めて、「サボっていても片づくようなら一番楽でいいがね」と答えておく。
 「ちぇ。ちゃんと仕事しろよ、無能」
 「事前連絡をする、という仕事すらちゃんと出来ないオコサマに言われたくはないな」
 「なんだとこの――」
 誰がオコサマで豆で仕事ができないくらいちっちゃいかぁ――ッッ!!!!!と後に立て板に水式に続いた。
 「兄さんったら!」
 後ろから弟に羽交い締めにされながら、手足を振り回す姿はまさしくおもちゃのようで笑いがとまらない。まったく見ていて飽きないね、鋼の。
 「いい加減にしてくださいお二人とも」
 「もう兄さん、ほら出発の邪魔しちゃ駄目だよ」
 やれやれといった風情で周囲が止めに入るまでこんな応酬が続くのもいつものことだ。
 アルフォンスが少女のような優しい声の色を、少しだけ窘めるようなそれに変える。ハボックが銜え煙草のままニヤニヤしてブレダと顔を見合わせる。アームストロング少佐は今は亡きヒューズとともにこの兄弟を大層贔屓にしているから、見詰める眼差しは優しげだ。
 雰囲気だけは困ったような、けれど表情のあまり変わらないファルマンの言い種が今日は中尉の変わりらしい。
 この兄弟はどこかしら人の心を揺さぶるものを持っているのだ。
 きっとそれは目的のために最低限の事にしか想いを留めない私の心でさえ、例外ではないのかもしれない。


 全員の乗車、完了いたしました、と報告を受け、さてではそろそろいくか、と踵を返す。
 こちらが促さずとも、部下達はそれぞれにエルリック兄弟に手を振って散っていく。少佐を従えて列車に乗り込もうとデッキに手をかけ、私はふと唐突に「計画」のことを思いだした。
 足を止めて振り返る。
 ホームにファルマンと並んで立っている兄弟は、振り返った私を怪訝そうに見詰めてきた。
 ――そもそも、私は何故こんな時に「計画」のことなど思いだしたのだろう。図らずもエルリック兄弟の見送りをうけるかたちになったせいだろうか。
 いや――こんな時、だから思いだしたのか。
 予感だとでも? 下らない、と即座に自嘲する。
 いつもならそのまま背を向ける筈の人間が振り返ったことが、余程不思議だったのだろうか。アルフォンスが笑って、子どもの仕草で小さく手を振ってくる。
 エドワードに目を移すと、一瞬、真正面から視線がかちあった。舌を出されるか、口をへの時にするか、犬でも追いやるように手を振られるか――彼の反応は、そのどれかだと思った。
 なのに、この金色の子どもはまるで激励を送るかのように親指を立てると、屈託なく年相応に笑ったのだ。
 きっとそのせいだろう。
 私の足が一歩、エドワードのほうへと戻る。完全に無意識で、気づいたときには少年の肩に触れていた。
 「鋼の」
 吃驚したような顔で少年が見上げてくる。
 傍らのファルマンも、意外そうな視線を寄越していることが気配で分かった。
 「……なに」
 「鋼の。私の――」
 『机の中に』と言いかけて口を噤む。
 私は何を言おうとしているのだろう。言いかけた言葉を飲み込んで苦笑いする。何でもない、とそのままエドワードの肩を叩いた。
 「大佐?」
 思いきり不審そうな子どもの顔に、苦笑いを浮かべるしかない私は手をヒラヒラと振って背を向ける。
 「報告書を忘れずに出しておきたまえ」
 「……わかってるよ」
 二度は振り返らず、そのまま少佐と共に列車の中へ乗り込んだ。
 扉が閉まってから振り返ると、ファルマンとアルフォンス、それから未だに怪訝そうな瞳のエドワードが立っている。
 ファルマンが敬礼をすると、エドワードも一瞬遅れてそれにならった。
 弟のアルフォンスは軍人ではないので無邪気に手を振ってくる。その様子がまるで家族を見送る子どものようで、いつもの皮肉な笑みを浮かべて見せることは難しかった。
 彼らの見送りに、敬礼で応える。


 まったく私は何をあの子に言おうとしたのか。
 エドワードはあれでなかなか勘の鋭い子どもだから、今ので何か隠し事の雰囲気に気づかれたかも知れない。
 しまったかな、と思ったが――なに、あと三ヶ月は顔も合わないのだ。追求してくることも出来はしないだろうし、そのうちに忘れてしまうことだろう。
 彼らにはやらなくてはならないことがあり、あの一途な子どもの頭の大半はそのことで占められている。こんな些細な幕間劇のことなど、すぐに忘却の向こうに消えていくはずだ。


 列車は次第に速度をあげて、セントラルからも彼らからも遠ざかっていった。