[5]





 軍用列車の座席で少佐と向かい合わせに座り揺られていると、個室の扉がノックされた。
 変わり映えのしない窓外の景色にうつらうつらしていた私は、その音で覚醒する。
 少佐は向かいの席で、何かメモらしきものを取っていた。入れ、と促すと兵士が立っていて「通信が入っております」と告げてくる。
 「どこからだ」
 「セントラルの司令部からであります」
 セントラルの司令部。心の中で鸚鵡返しに繰り返し、何かあったのだろうか、と少佐と顔を見合わせた。
 出立してから半日と経っていない。
 まさか「忘れ物です」とでもいうのじゃあるまいなと考えて、ハボックあたりの言いそうな出来の悪い冗談だと気づき、口にするのはやめておく。
 少佐に目顔で頷いて席を立ち、部下に促されて列車に設えられている通信室に入った。
 通信用のヘッドホンを耳に当てる。
 「マスタ――」
 「こンの大ボケ無能野郎ーッ!」

 ――大音量だった。

 思わずヘッドホンを耳から離す。頭がくらくらした。
 「……鋼の」
 うんざりしながら脱力する。
 藪から棒に、何だね、君は。軍の施設を使って何をやっている。ああ、そういえば君も一応は軍属だったか。あくまでも一応な、一応。少佐待遇でもあるんだっけな。だったら少しは上官に敬意を払いたまえよ。君、普通なら軍法会議ものだ。そもそも何の用事で、何のつもりがあって私は怒鳴られねばならんのだ。せめてこちらが名乗り終わるまで、待ちたまえ。
 離したヘッドホンから、なにやら罵声が響いてくるのに呆れながら、私は通信室から人払いをした。
 ここまでの暴挙に及ばれると、人間、腹が立つより先に脱力してしまう。
 だがしかし。
 「俺は受けとらねえからな!」
 響いたその一言に、私は金縛りにでもあったように動けなくなった。
 衝撃に声が出ない。
 なんだって? 何のことだ。
 まさか。
 「絶対に受け取らねえ! ふざけんな!」
 鋼の。
 「……どうして」
 見たのか。読んだのか? 何故。どうして。
 まさかあの時か。気づいたのか、あれだけで。たったあれだけの事で。
 「いいか! 戻ってこなかったら、どうなるか覚えとけ!」
 ぎりぎりと歯噛みするような口調のエドワードの声。爆発して怒鳴り散らした後の声は低く、まるで苦痛に呻いているようだった。
 「どっかでくだらなく犬死にでもしてみやがれ、俺はあんたの百万倍はタチの悪い上官の部下にでもなって、遠慮無くこき使われた後、アルと引き離されたうえ戦場に送り込まれて兵器扱いされてやるからなッ!」
 「……鋼――」
 「悔しいか? 悔しいだろ? あんたのお節介なんざ、全部灰にしてやる!」
 エドワード。
 「悔しかったらくっだらねえこと思いついてねぇで、さっさと戻って来い!」
 「……」
 「こんなもん置いて、安心しきったようなツラ晒して、命やりとりするような場所行ってんじゃねぇ、この無能!」
 「……エドワード」
 「アンタやることあんだろうが! こんなとこで惚けた顔してる場合じゃねえだろ! なあ、そうだろ?!」
 「……」
 「無能! 馬鹿野郎! 女たらしのスットコドッコイ! あんな、あんな顔しやがって……畜生……ッ」
 「エドワード」
 (……泣くな)
 その一言を辛うじて飲み込む。
 「……ッ畜生、帰ってくるって、約束しやがれッ!」
 だん、と通信機の向こうで机を拳が叩いたような音がする。
 私は自分が受けた衝撃を持て余して、どうしたらいいのか見当もつかなかった。


 何を大袈裟な。
 この程度の任務で、誰が犬死になんかするものか。そんな予定はないぞ。
 そう、君の言うとおり私には野望があり、こんな下らない任務で死んだりしてる場合じゃない。
 しかし、何でよりによってこんな任務で、まるで激戦区の最前線にでも行くかのような台詞を吐かれねばならんのだ――ああ、このタイミングでアレを読んだからか。
 私はそっと溜息を付いて額を抑えた。
 (やれやれ)
 鋼の。君、いくらなんでも少し私の能力を過小評価しすぎだよ、失礼な。大体、「あんな顔」と君は言うが、私が一体どんな顔をしたというんだ。
 だが山のように浮かんだ言葉は、何一つ口に出来なかった。胸ぐらを掴まれて、眩暈を引き起こすほど揺さぶられたような心持ちがする。
 エドワード、君は本当にまったく、ロクでもない玩具だ。ゼンマイ仕掛けの人形かと思っていたら、びっくり箱だったとはね。
 驚いたよ。私の心臓を止める気か。
 色々な反応を想定して楽しんでいたが――まさか。
 まさか、泣くか、君が。
 いや、君のことだから涙なんて流していないだろう。けれどその叫びはまるで慟哭のようだ。
 「すまない、鋼の」
 「約束しろ!」
 「する」
 約束するまでもない、とか、当たり前だ誰が死ぬか、とか余計な事を言うのはやめておく。どうしてだろう、そんな気分にはなれなかった。
 「必ず帰るよ」
 「帰ってきたら殴らせろ!」
 叩きつけるように通話が切れた。
 相変わらず乱暴なと眉を顰めたが、(今回は殴られてやってもいいか)と思った自分に自嘲する。
 どうしている、と思う。
 滅茶苦茶な話だ。あのくそ生意気な子どもときたら、言いたいだけ言って怒鳴り散らして。
 けれどどうしてか悪い気分ではなかった。
 (うん、悪くはない)
 どちらかといえばいい気分で自分が笑っていることに気づいて、それが可笑しくてまた笑う。


 理解も説明も出来ない感情を抱えたまま、通信室のヘッドホンを見詰めていると、ふいに、懐かしい親友の顔が浮かんだ。
 くしゃりと自分の前髪を掻き上げて、苦笑いする。
 ヒューズ。
 ああお前本当に狡い男だな、先に居なくなってしまうなんて。
 今の私なら、きっとこのままお前に電話をかけて、お前のように実に阿呆らしい話を小一時間でも聞かせてお返ししてやれただろうに。
 でもきっとお前の事だから、私と違って楽しそうに親身に聞いてくれるんだろう。


 誰かが不審に思って呼び出しにくるまでここにいようとさぼりを決め、私は通信室の硬い背もたれに沈み込むと、そのまま静かに目を閉じた。