幕間




 凍みるような永劫の苦痛と孤独の続く微睡みの底で、紅竜は思い返す。

 ――我は何故、あやつに幾度も同じ問いを繰り返したのだろう。

『殺すのは楽しいか』
『敵と味方の区別はできているか』
『お楽しみの時間だが、嬉しいか』
 言葉を変え、口調を変え、何度も青年に向かってそのような問いとも皮肉ともつかない言い様を重ねた。
 さぞ、嫌味のように聞こえたことだろう。今となっては後悔だけが残る。
 違うのだ。本当はそんなことが言いたかったわけではない。
 ――多分、もっと違う答えが聞きたかったのだ。彼自身の口から。
 彼は殺戮者だった。復讐者であり、憎しみを抱き続ける者だった。
 だが、決して酷薄な人間ではなかった。
 おぬしは愛を知らぬ、と腹立ち紛れに言葉をぶつけたこともあったが、口にしてからは苦かった。
 彼が愛を知らぬ筈が無い。
 愛を知らぬ者は、憎しみもまた知らぬからだ。この二者は相反するようでいて、根は同じ。激しく深い憎しみを持つ者は、同じ激しさと深さで愛をも抱く。
 また、憎しみだけをぶつける人間を、人は愛したりはしない。異質であり異端であった青年だが、彼を恐れつつも慕う人間は数多くいた。
 相反するものの狭間に立ち闇を見詰め続けた青年は、心が摩滅していくような苦しみをずっと抱えていた。
 彼は、悼むことも優しくすることも知っていた。
 彼の手は温かかった。本当は優しい強い人間だと、紅竜は知っていたのだ。
 ――、もっと。
 もっと、どうしたかったというのだろう。
 ――もっと早くに、己が自身の心を覗けていたなら。
 共に過ごせる時間があれほど短いと知っていたら、と悔やむ。
 今となっては、それが不可能だったか可能だったかという以前に、考えるだけ無益な空想でしかない。
 ――そうだ。一度だけ……。
 青年がいつもとは違う反応をしたことがあった。
 最初の問いかけ以降、彼が紅竜の皮肉めいた言葉に応えを返すことはなかった。他の会話なら受け答えるが、生殺与奪についてどんな言葉を投げようと、楽しいとも楽しくないとも応えず、カイムはいつもただ風の音か何かのように竜の言葉を聞き流していた。
 その青年が、紅竜の問いに応えて微かに目元を和らげたことがある。
 ――我は、なんと問うたのだったか。確か……。
『殺すことより楽しいこともあろうに。おぬし、やりたいことはないのか』
 そう――聞いた。
 砂漠で、沈む夕陽を見送りながらであったことを覚えている。
 常のことで、これも多分聞き流されるのだろうと思っていたのに、黒髪の契約者は僅かに紅竜を振り仰ぎ、瞳を細めた。
 血に濡れたような狂った夕陽の朱のなか、カイムの灰色味のかかった蒼い瞳だけが緑陰の泉のようにひっそりと静かだった。
『――……』
 彼は何と答えた?
 何と言った?
 紅竜は藻掻き苦悶する。
 ――思い出せぬ。
 それは酷く優しい、切ない言葉だった、ように覚えている。その時、紅竜は息を詰め、恐らくは陥落したのだ。気付かぬ内に侵されていた、どうにもならない甘い疼痛に。
 ――何故、思い出せぬ。
 苛んでくる呪縛よりも、遙かに残酷な痛みに紅竜はのたうった。
 思い出したかった。
 ――カイム。
 名を呼んでみる。闇の中で、その音の連なりはどこまでも甘く苦い。

 彼は確かに、あの時、紅竜に向かって応えたのだ。





(10.7.2)


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